枝豆の独り言

ほんまにただの独り言ブログ。映画や漫画やにのについて書いたりします。byタアナ

2008年10月

人を待つのは

イライラする。自分の時間が無駄に消費されるような、怒りを感じる。
けれど待ってもらうのは好きで、相手が自分より早いと嬉しくなる。それは自分は待たなくて良いという喜びでもあるけれど、大抵は優越感や、自分が必要とされている感じがするからだ。
すごい自己中だが、それは時間通りに自分が行けた時のみで、10分以上遅刻していれば申し訳なくて仕方なくなる。
遅刻と決まった瞬間に、私は2人のその日の関係に優劣が決まると思っている。時間を守れないというのは、情けないことだ。例え親友相手でも、相手を思いやると遅刻はすべきではないだろう。
といっても、私は遅刻常習犯だ。仕事ではなかなかないが、親友と遊びに行くとなるとネジがゆるむのか、よく10分程遅刻する。
待つのが嫌いで、待つ間にどんどん不機嫌になるという厄介で矛盾したところがあるのを自覚しているので、それを避けているとこうなった。待つのがなんとなく嫌だなぁとゆっくり動くせいだ。
親友達も慣れて(多分私だけがそう思っている)、今では喫茶店が落ち合い場所になることが多い。しかしこれがまた変なことに、待ち合わせ場所が喫茶店だと、いつも私が一番に着くのだ。
珈琲が好きだから、待つことが苦ではなくなる…と自然に体が動き、時間通りに着くというわけだ。元来生真面目な性格なので、冒頭でも述べたが遅刻するのは好きじゃない。相手が遅刻するのは許せないくせに自分は良いのかと言われれば、駄目に決まっているし、自己中なのは重々承知しているのだが、不機嫌になる自分も治せず、やはり普通の待ち合わせだと遅刻し、なんとも情けない。
遅れてきた私を見て、遅いぞ全く、変わらないんだからなぁお前はと、カラリと笑い許す親友の器のでかさには感服する。
私なら、遅い遅いとプリプリ怒り、珈琲奢れやの、もう少し申し訳ない顔をしろやの、煩いことこの上ないだろう。珈琲屋にいる時ならば、ケロッとして、やっと来た来たぐらいですむのだが…。まぁどちらにしても必ず一度はイラッとしている。
携帯ができてからは、連絡さえすりゃどれくらい遅れても良いと思っている人がドンと増えた。その時間に間に合わす為にした努力を返せと、心から思うのは私だけだろうか。
気ままに買い物するのにも、時間がいるのだ。時間にうるさい私は、実に現代人らしく時に追われているのだろう。

いやはや本当に情けない…どんなに相手が遅れてきても、カラリと許す余裕が欲しいものだ。

恋愛と快楽

季節が変化していくと、見えなかったものが見えたり、見えなかったり…
日記なんてつけない人が、ブログならつけれるらしい。赤い糸は信じてる。きっと運命も純愛も存在している。
それに焦がれるのはなぜか。例えば愛というのは快楽に直結してしまうものだと思っている人もいるけど、快楽なんか感じない恋愛をする人もいる。
あぁそう思えば、同性愛者が体を繋げる方法は幾通りもあるが、どれだけの同性愛者がそこまで快楽を追い求めているのかは知らない。時に手を繋げるだけで幸せだと感じるという彼、彼女らこそ、純愛の形として美しいのかもしれない。
バイセクシャルな人間は、そのぶん人として魅力的だろう。どんな人間の美しさも、平等な視点のもとに見つめているのだから。そこに性的差別は現れない。それだけ器が大きくなければ万人を恋愛対象として見ることは難しい。
人は本当に容易く堕ちるから、私も快楽にはすぐ堕ちてしまうから、その弱さは痛いほど分かるけど、なぜこんなにも愚かな行為であると感じてしまうのだろうか。
その快楽とともにある優しさや人の温もりの方が、何倍も記憶に残るのは何故なのだろうか。愛しく感じるのは、前に回された腕だったり、そり残ったひげだったり…これは私が女だからなのだろうか。
静かな時に、ふわりと考える。誰かにどう思うかと聞きたくても聞けない私は、欲張りで寂しがり屋の臆病者だ。
夢の中では切る縁も、現実世界では薄くすることもできずにいる。

女は強い

とつくづく思う。
乙女でありながら、その実リアリストで、何もできないように見えて、その実何でもできる度胸がある。
男性の何倍もの痛みに耐えることができ、子を思う母性はケンシロウよりも最強だろう。
ではなぜこんなにも女性はリアリストで底力があるのか…
私はその力の源は、毎月くる生理ではないかなぁと本気で思っている。男性は日常生活していれば、コップ一杯の血をみることなんてないだろう。
しかし女性は、毎月、コップ一杯以上の血が、少なくとも3日以上、しかも自分の体から流れ出るのを見るのだ。
たまには痛みや苛々を伴い、それはやってくる。
血は、人の脆さの象徴だと思う。女性は無意識のうちに、人間の脆さ、か弱さを感じとっているのではないだろうか。
強い…ということは、弱さを知っていなければ本物ではない。
弱い自分を知っている人は、ある意味どこまでも強くなれる。自分を強いなんて思っていないし、気づいていないから。
また、夢や馬鹿なことを夢想するのも、生理は叩きつけるように現実を見せて戒める。
男性のように男のロマンだといつまでも夢みれないのは、その戒めがあるからではないだろうか。
赤い血を毎月見る女は、否応なしに、強くならざるおえないのかもしれない。

新しい私を

私はショートヘアが大好きだ。物心ついた時からショートは憧れで、髪の長い女性はなんてことないけど、ショートの似合う綺麗な女性を見ると、振り返っちゃうし見つめちゃう。
服装までが好みだと、もうガンミ。多分向こうは怖いだろう…
そんな私ももちろん、ずっとショートだった。小学生高学年から高校までの10年くらいずっと…
そんな私が髪の毛を伸ばしたのは、今の相棒が伸ばしてみたら?って言ったのと、古いけどジュディマリの歌で、

長い髪に憧れた 夜に降る雨は好きだった

っていうフレーズが気に入ったから。
長い髪は、女性を確かに美しく見せるかもしれない。女性を女性らしくするし…大人に見せる。私も歳より高く見られがちだ。まぁ、前に立つ仕事だし、同じ年の子より落ち着いてるのもあるからだけど。
けれど私はやっぱショートが好きで、ショートから見える耳やうなじが好きだ。隠すものなんかないっていうおおっぴらな感じが好きだ。服装によっては中性的に見えるのも、むちゃくちゃ首筋が女らしく見えちゃう瞬間も好きだ。
いわゆる大人の女になってからは、まだショートにしてないな…って思ったら、切りたくて堪らなくなった。さよならした悲しさとかも、この髪と一緒に捨てちゃおう。
挑戦もしないうちからと言わないで、どちらもとても大切なんだ。
髪を切って、パーマかけて、前髪作って、新しい私を始めよう。

セイ

一人称 アキのセイ観察
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